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  • nakarakaneko04

障がい者就労支援事業A型 株式会社なから           『私の大切な趣味のお話』

言葉を覚えるのが遅い方だった私ですが、ひらがなが読めるようになってすぐ、本の虜になりました。

幸いなことに、家には総ルビの本が多くあり、学校の授業と合わせてぐんぐんと文字が読めるようになっていきました。

特に何度も読んだのは妹尾河童先生作の『少年H』と、灰谷健次郎先生作の『兎の眼』です。友人づきあいに難のあった私は、喧嘩にならない本の方に親しみを感じ、のめり込んでいきました。流行りの小説を読んだり、祖母が定期購読していた農業や育児に関する本も辞書で調べつつ読んだりと、まさに本の虫でした。

人間は不思議なもので、読めるようになると書きたくなります。しかし、文字を書くにはどのようにすれば良いのか? 当時の私は、それを誰かに相談するほど、人へ心を開いてはいませんでした。家族相手でもそうでした。


そんなおり、国語の授業で『小説を書いてみよう』というのが始まりました。とても嬉しく、今でも内容を覚えているほどです。


短いですが、こんなお話……。

『小さな男の子と女の子が、不思議な島に迷い込みます。二人がどうしてこの島に来たのかというと、お父さんがお仕事で失敗し、消えてしまったので、そのお父さんを探すために来たのです。二人は不思議な木の実のなる大木に出会ったり、その木の実をキツネに上げて、道案内をしてもらいながら島を進んでいきます。やがて二人は船を見つけ、島を脱出するのですが、お父さんは見つからずじまい。お父さんはどこに行ったのかな?』道中いくつか端折りましたが内容はこうでした。

200字詰め原稿用紙に、HBの鉛筆で筆圧強く黒々と書いた作品は、国語の先生には「良く書けてるねぇ」と褒めていただけましたが、4つ上の兄は読むなり「暗い!」、「もっと明るい話を書きなよ」と言い、ブラウン管の中のゲームに向き合ってしまいました。

初めて書いた作品を身内に酷評(?)されることほど、悲しいものはありません!

「もう何があってもお兄ちゃんには見せてやんないぞ!」と決意し、なんだかんだそれは今でも続いています。見せてやんないのです。

しかし悲しくても、やっぱり人間は不思議なものでまた文章を書きたくなります。

私は母にねだって原稿用紙を買ってもらい、当時読んでいた作品の真似をしたり、頭に浮かんだ文章をふと書き残したりを繰り返してきました。時にそれが兄に見つかり、笑われたりといったハプニングはありましたが、原稿用紙とHBの鉛筆をスマートフォンとパソコンに持ち替えて、今に至るまで書いているのです。



今は便利で素晴らしい時代です、書くために必要な道具もハードルも、ほぼ無いようなもの。皆さんも何か書いてみませんか?

ブログなど、良いかもしれませんね。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


『なから』は良いところです。

自分にあった仕事が選べますし、環境も静か、自然も豊かです。

よろしければ、皆様も見学などお気軽にどうぞ。

その際は、電話などによる事前の連絡をお願いします。

TEL:026−254−7523 ご連絡をお待ちしています。

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